ポインセチアは枢機卿の法衣の色
それとも酔っ払った猩猩か

2014.12.20

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クリスマスカラーと言えば赤と緑ですね。キリスト教では赤は重要な意味をもっています。キリストの流した「贖罪の血」を表し、祭礼の際に枢機卿が着用する法衣の色に用いられ、白に続いて神聖な色とされています。そしてこの法衣の色は「カーディナル(枢機卿の意)レッド」と呼ばれています。一方、緑はクリスマスに飾られる、モミの木とヒイラギに由来し、これらは常緑樹として一年中色を変ないエバーグリーンの植物で強い生命力から希望の木とされ、永遠の命を象徴しています。このクリスマスカラーをまとったポインセチアはメキシコ原産の植物です。米国の駐メキシコ大使のポインセット氏が在任中発見し、アメリカに帰国後、紹介して広まったことから「ポインセチア」と名付けられました。別名「猩猩木(しょうじょうぼく)」とも呼ばれています。猩猩とは人の言葉を理解し酒を好み、真っ赤な顔に赤色の毛をもった空想上の生き物です。酒を好むことから、腐敗臭、アルコール臭に集まってくるコバエの名前もショウジョウバエですね。

枯れ尾花
小春日和の篠山で

2014.10.19

小春日和の篠山、ススキがそろそろ終わりに近づいていました。ススキはご存知のように風散布種子で、種子が風に飛ばされたあとに残るのが枯れ尾花です。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」・・・芭蕉の俳句というのはどうも出典根拠が怪しく、横井也有の句集「鶉衣(うずらごろも)」にある「化物の正体見たり枯れ尾花」が出典との説が有力だそうです。”化物”の部分が一般に流布するうちに”幽霊”にすり替わってしまったのでしょう。そういえば幽霊の方が枯れ尾花のイメージに合っていますね。

秋の里山で見たヤマガラの一瞬芸
小春日和の篠山で

2014.10.19

篠山の知人から芋煮会のお誘いを受け、里山の秋を堪能させていただきました。食事の最中に飛んできたヤマガラが人の手からヒマワリの種子を食べたのには驚きました。 10羽ぐらいが次々食べに来ます。つついたヒマワリの種子が空だったらピョイとくちばしで投げ捨て、次のをくわえます。野鳥がいきなりこうした行動をするのではなく、やはり調教の成せる技のようです。ヤマガラは学習能力が高いため芸を仕込む事ができ、古くは平安時代から飼育されてきたようです。江戸時代には覚えさせた芸を盛んに披露しました。特におみくじを引かせる芸が多く、昭和の終わり頃までは神社の境内などで催される縁日で普通に見られました。そのため私たち高齢者にはヤマガラはおみくじを引く小鳥のイメージが強いですね。平成に入り鳥獣保護法が制定され、縁日からすっかり姿を消してしまいました。

微速撮影した甲子園浜の雲
秋の気配が漂ってきました

2014.09.17

雲や星の動き、植物の成長、街の様子の変化など、一定の間隔で撮影した写真を早送りにして楽しむ微速撮影。変化が凝縮された動画は美しく、しかもその移り変わりが手に取るようにわかります。
今年の夏も楽しませてくれた甲子園浜。肉眼で雲を眺めていると、形をある程度保ったまま流されていくように見えますが、スマートフォンの「TimeLapse」というアプリを使って微速撮影した動画を見ると、雲って随分変形しながら動いていくものですね。甲子園浜にも秋の気配が漂ってきました。

はかない花の命だからこそ・・
天候不順だった今年の夏も終わりです

2014.09.01

秋雨前線の居座りで雨が続いています。天候不順だった今年の朝顔の花はいつも雨に打たれていたような気がしますね。出勤途上の道沿いに咲いていた朝顔の花です。雨粒を受けた朝顔は凜と幽の字を重ねた趣があります。わずか数時間のはかない花命なので余計にそう感じるのかもしれません。ところで、つくば市の農研機構花き研究所が、朝顔の老化にかかわる遺伝子を見つけ、これを抑制すると、翌朝まで24時間も開花時間が延長したとのこと。桜や牡丹の散り際の潔さ、朝顔のはかなさを愛でる日本人としてはこの研究、チョト残念?
夕方通りかかった時には株ごと全部処分されていました。甲子園の短い夏も終わりです。

ハーロン去ってスーパームーン
近地点の満月は光量30%増

2014.08.10

地球の周りを公転している月の軌道は楕円を描いているため、長軸あたりを通過しているときは小さく、短軸あたりの時は大きく見えます。地球に最も近い点を近地点と呼び、これを満月で通過するタイミングの月を俗にスーパームーンと呼んでいます。NASAによると、スーパームーンの月は通常の満月に比べ、大きさが14%、明るさが30%増して見えるそうです。今年はスーパームーンの当たり年で7月12日、8月10日、9月9日の3回見ることができます。昨夜のスーパームーンは台風11号(ハーロン)一過で空気が澄んでいたせいもあり、名残のちぎれ雲の合間からきわめて明るい月を望むことができました。次回の9月9日は中秋の名月・・月見酒といきますか。

半夏生の控えめな御化粧
受粉が終わればサッサと化粧落としてスッピンに

2014.06.28

二十四節期・五節句に含まれないが、季節の移り変わりを的確に掴むために設けられた雑節の一つ「半夏生」。夏至から数えて11日目にあたるこの日の空模様でその年のイネの出来具合が占われ、農家にとっては大事な節目の日とされてきました。この半夏生の頃までに農家は田植えを済ませてしばしの休息です。瀬戸内の農家では半夏生の日には旬であるタコを食べる風習があります。これは植えた稲の苗がタコの足のように大地にしっかりと根張りして豊作になるようにとの願いをこめた習いです。
またこの時期に咲くのがハンゲショウ(カタシログサ)で葉の一部を残して白ペンキを塗ったようように変化する様子から「半夏生」とも呼ばれています。虫媒花にもかかわらず花が極端に地味なため、せめて葉っぱで目立って虫を誘引しようとする努力は評価すべきですね。しかし受粉時期が終わると さっさと化粧落として葉の色はもとの緑色に戻るところなんて・・・・
「結婚の写真見た子がママはどこ」  「久々の化粧にオヤジあとずさり」 読み人知らず。失礼しました。

アヤメの花弁、艶やかな群青色は・・
尾形光琳の「燕子花(かきつばた)図屏風」も
フェルメールの「真珠の耳飾の少女」のターバンも

2014.05.31

実家の庭でアヤメ(菖蒲)の花が盛りを迎えています。 「いずれ菖蒲か かきつばた・・・」どれも美しく優劣つけがたい。選択に迷うという言い回しです。源頼政が怪獣の鵺(ぬえ)を退治して菖蒲前(あやめのまえ)という美女を賜るにあたり、十二名の美女の中から菖蒲前を選ぶよう命ぜられました。その時に詠んだ歌「五月雨に沢辺のまこも水たえていずれあやめと引きぞわづらふ」にちなみます。アヤメの名前の由来は花弁の付け根にある網目状の模様を文目あるいは綾目と呼ばれたことに由来します。ところでアヤメ/かきつばたといえば、豪胆な作風で知られる尾形光琳の代表的な作品である六曲一双の屏風、燕子花図(かきつばた)屏風が有名ですね。金箔の上に描かれたかきつばたの鮮やかな花弁は顔料「群青」を厚塗りして色付けされています。古来から用いられるこの群青色はラピスラズリから得られた天然ウルトラマリンブルーで、フェルメール「真珠の耳飾の少女」のターバンに見られるいわゆるフェルメールブルーの青もこの原料を用いています。群青の原料だったラピスラズリは稀少となり、代って上の画像のアズライト(藍銅鉱)が用いられる様になりました。さらに人工群青(PB29)が工業生産されると、今度はこれがアズライトの代替になっています。
「どどめ色」同様、しばしば漫才等でネタにされてしまう「ぐんじょう」・・・気の毒な色名です。

ヒリヒリ野蒜
酢味噌で春の香り

2014.04.27

病院犬の十兵衛と零子の散歩先、枝川遊歩道に自生する野蒜(ノビル)。ユリ科ネギ属の植物です。生の葱のようにヒリヒリと辛いところから、「ひる」の名が付いたというのは眉唾もの・・・。ニンニクの古名を蒜(ひる)といい、野生する蒜(ひる)という意味から、ノヒルとなり転訛して、ノビルになったとされるのが正解でしょう。地下に小さなラッキョウほどの鱗茎(球根)をつくり、玉葱に似た強烈な香りと辛味があります。食用野草のなかでもそのパワーはピカイチ。白鹿に化けた地の神をヤマトタケルが野蒜で打ち殺すエピソードがあるのもうなずけます。秋田では、春の残雪の中から芽吹く新芽を、サシビルと呼び珍重して、ショッツル鍋に入れるとのことですが、とりあえずホタルイカを添えてヌタでいただきました。辛っ・・・旨い!

スギナの子ではない土筆
子供の頃の懐かしい想い出

2014.04.05

宝塚の実家のすぐ脇を流れる逆瀬川。桜の頃になると河川敷にツクシが顔を出します。そのユーモラスな形状から土筆と当て字を与えられていますが、この植物名はツクシではなくスギナです。スギナは、シダ植物のトクサ属の植物でその胞子茎をツクシと呼んでいるわけです。スギナの地下茎から伸びあがったツクシは葉緑素を持たず光合成もしません。胞子を放つとそのまま立ち枯れてしまいます。その後、ツクシとは全く外見の異なる栄養茎を伸ばします。栄養茎は茎と葉からなり、ちゃんと葉緑素を持ち光合成を行います。全体を見るとスギの樹形に似て見えるのでスギナ・・なんでしょう。ツクシ誰の子、スギナの子・・ではないのです。ところでこの題名のドラマを御存じの方はお歳が知れます。
春光の中、友達と土筆を探し回っている時の幸せな感覚、傘がキュッと締まった土筆を見つけた時の幸せな感覚、土筆の味をあれこれ想像しながら母親と新聞を広げてはかまを取っている時の幸せな感覚。何十年も経ったのに、今でもこうした幸せの感覚は鮮烈に心の中に留まっているものですね。

雛飾る少女の貌は変わりゆく
立雛をかざりました

2014.03.01

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「ひな祭り」の起源はよくわかっておらず、平安時代の京の都で既に貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が残っています。初めはあくまで「遊びごと」であり、儀式的なものではなかったのですがその後、川へ紙で作った人形を流す「流し雛」が行われるようになり、雛人形は「穢れ払い」として祀られる様になったようです。しかし実はこの流し雛、「源氏物語」の須磨の巻に出てくるほどに古くから行われていたようです。光源氏がお祓いをした人形を船に乗せ、須磨の海に流したという著述があるのです。江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、雛人形が家庭で飾られるようになりました。
今年も立ち雛と稚児雛を飾りました。でもなんだか例年と比べて、少しおセンチな気分で眺めています。明後日からはまた薄暗い納戸暮らしかぁ・・。今年はもう少し飾っておくことにします。

グェン王朝門外不出の椿
ベトナム椿の開花

2014.01.02

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お正月を待っていたかのようにベトナム椿(ハイドゥン)が開花しました。ベトナムではテト(旧正月)を祝う花とされており、ベトナム最後のグエン王朝が王家の花に指定し、持ち出しを厳しく禁止していました。しかし今では日本国内でも比較的容易に入手できるようになりました。先端が少し内側にカールしており、肉厚でボリューム感の有る花弁が特徴で、触らずとも伝わってくるボリューム感は、まるで造形品のようにさえ見えます。そうそう! 正月に頂いた京和菓子みたいですね。